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ちょっと今夜は、僕、魂birthの【世界観】と、最近思うことを少し語ってみようとおもう。おもしろくないヒトは読まなくていい。押し付けたくないから。
僕のすきな思想のひとつに、「ケルト」というものがある。イギリスを構成するアイルランドのある地方に古く根付いている思想だ。ワーズワースとかスコットランド民謡を思い出してもらえると、想像しやすいかもしれない。
今はケルトはすっかり、キリスト文化圏に侵食されてしまったけれど、その地方の根源は、万物に神性を感じることのできること。つまり絶対神ではないということ。
その文化圏の思想には、絶対的なものなんて存在しないという考え方がある。みんな生きているんだから、持ちつ持たれつで共生しているんだっていう考え方だ。
それは同時に俺の思想でもある。
ガリア戦記で、ケルトの民のこと(ガリア地方に居たから)を、かのユリウス・カエサル(シーザー)はこう記している。
『ケルトは死をおそれない』
ケルトの死生観は輪廻転生。
死んですべてが断ち切られるわけがない。
ものごとや魂に、はじめもおわりもないんだ。
すべては円になっていて、あらゆるものが輪っかになって、つながっている。ケルトの文化に、円がたくさん絡まるような文様が多いのは、そのためである。
さて、
先ほどのカエサルの『ケルトは死をおそれない』。
どこかで似たものをご存知ではありませんか????
そう。旧日本軍の特攻だ。
『死んですべてが断ち切られるわけがない』
極論、未来につながるから彼らは死をおそれなかった。
彼らは【国そのもの】という、しんじるものがあったから。
もちろん、仏教も輪廻転生だよね。
そう。ケルトも日本も『アニミズム』の思想文化なのである。小泉八雲… かのラフカディオ・ハーンも、アイルランド出自の父を持ち、ケルト的な思想の元、日本の文化に共感して帰化した。
なぜか思想文化が似ているために、「こぶとりじいさん」や「ももたろう」など、類似した物語が残っていたりする。
あらゆるものに神性を感じる。
山や海や、空や路傍の木にも神性を感じられた文化。
森羅万象。
ヤオヨロズのかみさまたち。
近年、
命を粗末にするような事件が多くなってきていると思う。
自殺もかなり多い。
最初に日本で鳥ウイルスを出した養鶏場の夫婦。
こないだの校長。
いじめの中学生。
こどもに愛情をかけられない親。
なんでもない少年、少女、老若男女。
欧米文化などのいろんな文化に翻弄され、
敗戦によっていろいろなものが否定され、
絶対的なものがあるのかどうかもわからず、
命を絶ったり、奪ったり。
ほんらい日本人の抱えてたおもいやりとか、
やさしさって、どこにいっちゃったんだろう。
死んですべてが断ち切られるわけがない。
ゆるされるわけがない。
もっとそばにかみさまは、たくさんいるのに、何一つ感じることのできなくなった日本人。
なんか、この国や、この国のひとたちは今、
終わりに向かってただつきすすんでいるように思う。
若者なんてとくに、いつか死ぬんだから今を刹那的に楽しみつくす… みたいなひとがおおいような気がする。
おわりなんかない。
おわらせちゃいけないんだ。
僕には薬指にリングがある。何の変哲もないただの銀細工の輪っかだ。だけど、途切れることなく、未来につながっている気がしてならない。
単に「恋人のあかし」なんて単純なものじゃない。
もっと深い意味がぜったいにあるはずなんだ。
僕は、ケルト文化が昔から好きだった。
まだ行けていないけど、
学生のうちに、いちどはケルト圏に行ってみたい。
よく僕は「やさしいやつだ」と言われるけど、まだそんなに「やさしいやつ」って自覚はない。ふつうやさしさって、自分に余裕がないとできないことだと思う。
僕にはその基準がない。
やさしくされたいからやさしくしてるわけでもない。
偽善だと思われてもいいから、他者にやさしくしたい。
それは太陽に由来するんだけど、これは別の話なので割愛。
いつかイギリスに行って、ケルト文化に触れたとき、自分のなかにある、ほんとうのやさしさを、見つけられる気がする。そのときまでがんばって、命を大切にし、前を向く努力をしようと思う。
読んでくれてありがとう。
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