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風はどこから吹いてくるんだろう。
そんな疑問を持ったことがあった。昼夜で風向きは逆転し、夜は海から、昼は海へと、大差はあるがおおよそはそう教わった記憶がある。
でも当時のぼくの世界認識ではどうも納得できていなかった。グランドキャニオンやイグアスの滝でも見ていたら、そんなちっぽけな問いにとらわれることもなかったのだろうけども、あいにく未だに海外へは行ったことがない。そういう発想すらなかった。とてももったいない時代を過ごしていたと思う。だけど、そのかわりに、いろんな感性には触れられた。
『風は吹いてくるもんじゃない。空気が移動してるだけなんだ』
空気が移動する。
若い理科教師がふいに答えたそのひとことは、ぼくを魂から揺さぶった。さも、"風"が、イキモノであるかのような表現だった。おっさんになった今、同じことを言われても、たいした感慨なんて湧かないだろう。あのとき、10代だったから、揺さぶられたのだ。そう。とにかくぼくは、たったそれだけの擬人法に、まるでヌーがサバンナを群走するかのような感銘を受けたのである。
目にもみえない、
耳にもきこえない、
触れられない。
だけどその空気のかたまりは、確かな音をたてて、重量感をもち、移動している。理科教師のひとことが、人間の耳にはけっして聴こえない大自然のコトワリを垣間見せてくれた。
その理科教師が亡くなられたのは、突然だった。
死因なんて記すつもりはない。 大事なのは、確かにイナクナッタということ。
人が死ぬということを、 本当の意味で当時の俺は理解していたかどうか。
この年齢でも"死"を理解している人は少ないと思う。
「なんで??」って思うか?
俺がおかしいのかもしれない。
物理的に生きてても、死んでても、 その人の影響を感じられるなら、生きているに相当するとしか思えないのだ。
夏目漱石の「こころ」を読んで、どう思った?? 黒澤明の映画を観て、どう思った?? 坂本竜馬の生き方を知って、どう思った??
↑その人たちはもうこの世にいない。
でも生きている人に影響を与えてる。
理科教師だって、今も俺に影響を与えてる。
目にみえないだけで、どこかに存在している。盲目的なのかもしれないが、ぼくはそう考える。きっと魂だけはそのへんを移動しているだけなのではないのか。精神は死なず、とか、そんな簡単にことばで表してはいけないレベルのことだ。
あのとき、ぼくの心を揺さぶった存在が、もう跡形もなくなったなんて到底考えられない。
つまり、
"一瞬でもそこにあった存在はなくならない"のだ。
"記憶"でも"気持ち"でも、"風"でもいい。 どんな言い方をしてもいいから、 いちどそこに存在したものは、決して消せない。
今まで生きてきて、多くのひとの優しさに触れた。
悪意にも触れた。敬意もあった。笑顔もあった。
失敗も、かなしみも、さびしさも、幸福もあった。
そのすべてが軸となり、現代の俺を創っていて、支えている。
忘れたくない。忘れられない。
忘れてほしくもない。忘れられるわけがない。
この感情の渦に決着がつくことはきっとないだろうけど、 生きているかぎり、人は必ず再会する。
いちど出会った人とは別れることができない。 そんな言葉を信じて生きていくつもりだ。
風が地球をぐるぐるめぐるように、 この地球のどこかでまた再会するために生きるよ。
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